◆モラトリアム モシクハ デフォルトの悪夢

 今、私の財布の中身は、私の労働の対価として、契約を交わした上で、雇用者側、あるいは仕事の発注者側から支払われたものだけである。私の持つ100円は、101円としての価値は持たない。ところが、「時間」によってこの価値が増殖することを考え出した人間がその昔にいた。「利子」「利息」である。そして生産物・サービスの対価は、需要と供給のバランスによって決定されるという経済活動の原則が認識されると、今度は価値が価値を生むことにも気づく。こうして人間が集まって形作る社会のあるべき姿が、共有される。経済成長こそが善であるとの思想が世界を覆う。それらの基盤をなすのが「統計」という情報の集合体であることに気付くのは当然のことである。そしてその抽象化された情報を利用して100円を101円に、いや何倍にも何百倍にもできるシステムを構築することに知恵を傾けてきた。これにまやかしがあれば、私が生きていくために寄って立つ100円の価値が全く信用できないものとなる。今、現在進行形で起きているこの国の一連のまやかしがMoratorium and Defaultという悪夢を予感させている。国とはやはりいささかも信頼できるものではないということか。