●マスメディアの仕事は発表報道=「情報横流し」あるいは「情報垂れ流し」が主たる業務内容?!

日刊ゲンダイメールマガジン」2009/9/17版より

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【2】つくづく感じた 大新聞記者たちの愚鈍と無力
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 鳩山新首相の就任記者会見で、相変わらず大マスコミの政治部記者たちは低レベルぶりをさらけ出した。西松事件での「国策捜査」発言や故人献金問題などチマチマした質問ばかり。さらに夜の閣僚会見でも、鳩山内閣が各省庁の次官の定例記者会見を廃止する方針を打ち出すと記者たちはパニック。事務次官の説明通りにしか記事を書けないことがバレた。とんだお笑い。

 私が30年ほど前に契約で所属していた某隔週週刊誌の編集部の同僚が、ある事件の取材に都内A署に出向いた時に引起した“事件”を思い出す。
 その同僚が、警察署の次長(広報担当が役回りになるのが一般的、現在はどうかは不明)に向かって、報道発表資料として配った紙(今では“ペーパー”という表現が記者クラブの中では一般的らしい)を見て、「これじゃ記事にならないよ!!」と口走った。記者発表が終った頃に会見場に入り、渡された報道発表資料をみて、資料内容を確認したかったのだが、若さゆえか、どうも不用意にその一言が出たらしい。そのはき捨てるような言葉尻を捉えて、姓名、所属を同僚は問い質された。堂々と週刊誌名と名前を名乗ったが、それを聴いていた周囲の記者クラブ加盟の記者連中から、「何だ週刊誌か!」という、揶揄とも、侮蔑とも取れるような声が上がった。当時から週刊誌の記者は“警察記者クラブ”から排除されていたから、事件報道の場合は取材陣、テレビカメラなどでごった返す中に潜りこんで取材メモを取るのがごく普通の方法だった。だから、質問などはどさくさに紛れてする以外に手はなかったし、いわゆる“ぶら下がり”でも顔見知りの記者クラブ加盟の記者連中しか相手にされなかった。
 A署から、同僚と私の直属の上司であるデスクに、その同僚の所在確認の電話が入った。デスクは事の顛末の説明をA署から聞き、謝罪をした。そして直ぐに一升瓶か何かを抱えて、同僚を引き連れ、A署に挨拶に行ったようだった。
 その同僚も私も、大学を出てまだ半年もしない頃だったから、メディアの世界の“しきたり”というのか“行儀作法”というのをよく知らなかった。しかし、純粋に社会の問題を捉え、考え、伝えて行きたいという意欲には満ちていた。このちょっとした事件によって、私は同僚の仕事に対する姿勢にある種の羨ましさと尊敬の念の入り混じった気持ちを抱いた。
 青臭い感傷的な話になってしまったが、つまり、「権力側から言われた通りには記事にしない。自分の視点、問題意識の上に立って記事を書くのが記者の仕事だ」という思いが強かったのである。今のメディアの中にいる記者達が、皆、日刊ゲンダイが“糾弾”するように“愚鈍と無力”だとはいえないだろうが、しかし、高給に胡坐をかく「サラリーマン記者」が圧倒的多数になっていることは間違いないだろう。それは、新聞や放送メディアの“面白さ”が急激に失われていることが証明している。

 日刊ゲンダイメールマガジン2009/9/18版では、新聞労連が「事務次官会見」の廃止に抗議したことを受けて、次のように書いている。

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【3】「次官会見廃止」に噛みつく大マスコミ
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 省庁の次官会見廃止に大マスコミは猛反発、新聞労連は17日、撤回を求める声明まで出した。鳩山政権の最大の目標は、官僚主導を廃し、政治家主導の国にすること。そのためには、官僚ではなく、大臣や副大臣が説明責任を果たさなければならない。次官会見廃止はその第一歩。猛反発は記者クラブの特権にアグラをかいてきた大マスコミの正体見たり。

 「言論統制」につがるのではないのかという危惧からの抗議ということだが、これは、メディアの労働組合も経営者側と同様に、既得権益に胡坐をかいて、汗を流さずに、「調査報道」などといった面倒な仕事はしたくないと表明しているようなものだ。つまり、ジャーナリズムの基本原則である権力の監視機能を放棄していることに気がついていないのである。