●「町内会」システムの崩壊

 小生、地域社会の生活機能を支えるシステムとしての「町内会」につながる「青少年育成委員」に市長から委嘱されている。言うなればボランティアであるこの「青少年育成委員」として、今年で2年が経過する。以前には子どもが通う学校のPTA役員、町内会の役員をそれぞれ2年ほど務めたことがある。
 こうした経験の中から、「町内会」というシステムも崩壊の一途を辿っているのではと感じている。自分さえよければという“利己主義”の思いが社会に満ち溢れているからだとも言えるし、今度の総選挙(衆議院選挙)で自民党が見事に瓦解した原因もここにあるような気がする。つまり、小泉元総理の「私が自民党をぶっ壊す!!」と宣言したとおりになったのも、戦後、自民党政権下で築き上げられてきたあらゆる制度が硬直化し、機能不全に陥ったからだとも分析できる。町内会組織というのは、自民党の集票マシンのような機能を果たしていたフシもある。(誤解を受けるといけないので、記しておく。小生は支持政党なしの無党派層に属す。)
 あるいは、80年代から90年代にかけて、"限界集落"という言葉に象徴されるように、地方の瓦解がはじまり、今日ではその疲弊状況が常態化しているが、これと同じようなことが、"ヒト、モノ、カネ"が集まる都市部でもはじまっているということだ。
 そして、金にもならない面倒なボランティア活動などを好き好んで誰がやるものか――という傍観者意識が充満しつつある都市部における地域活動には、もはや何も意味が見出せない状況になっている。中には"名誉"が欲しい地域の年寄りがやるものという、冷ややかな視線もあろう。現実としてそうした意識を持った人たちも中にはいる。好きでやっている人たちなのだからやらせておけばいい、という声も聞こえてくる。しかし、ゴミ収集場所の設定や移動のごとき直接に利害に関わる問題が起きると、自分勝手な理屈を述べて協調しようとしないといったような話しは幾らでもあるだろう。
 もうひとつ重要な点は、こうした地域社会のシステムが行政の縦割りの中で、いくつもの名称で"作らされている"という事実である。例えば、小生の住む札幌市では、町内会制度の上部構造に位置するように「まちづくりネットワーク協議会」、「スクールゾーン実行委員会」、「社会福祉連絡協議会」、「民生・児童委員協議会」といった行政指導による組織があり、加えて、単位町内会の上に地域ごとの連合町内会組織がいわゆる任意組織として存在する。そして、同じ人物がこの組織のいくつかのメンバーに名を連ねているのである。なんと無駄な制度なのかと呆れてしまうほどだ。いっそのこと地域互助組織としてひとつにまとめてしまったほうがどれほど効率的かと思うのだ。
 こうした現状から判断するならば、今、民主党が精力的に行っている"事業仕分け"と同じようなことを、地方自治体でも行ってみてはどうかと思うのだ。背景にあるキーワードは“創造的破壊”と言える。実際に「町内会組織」の解散を行ったところもあると聞くし、現在、そうしたことを画策する町内会がいたるところにあるという。
 自民党の凋落と並行するように、今や、都市部でも、政治の眼が行き届かないところで、制度疲労が起き、機能不全に陥っているのである。役人とは制度維持、組織維持による保身しか頭にない輩だから、こうした地域崩壊を押しとどめる能力はないと思った方がいい。だから、政治に期待するしか道はないのだが、その政治を選ぶのは、私たちひとり一人の問題ということになる。日本の社会がどういう姿に変貌していくのか、まさにそこにかかっている。